拉致被害者、市川修一さんの父・市川平さん
昭和53年8月12日、次男の修一さん=拉致当時(23)=を北朝鮮に奪われた。40歳を前にして授かった大切な息子を拉致されてから、間もなく36年。人生の3分の1は、息子との再会を待ち続けることに費やされた。
「私たちの前では修一のことを口にすることはなかったけれど、生存情報を聞いて裏で泣く姿を見たことがある。きっとうれしかったんだと思う」
大正生まれの寡黙な父親の思いを長男、健一さん(69)はそう代弁する。平成20年に妻のトミさんが91歳で死去し、2年後に自身も脳梗塞で倒れた。その後、認知症の症状が出始め、家族も修一さんの話をすることはなくなった。
今月4日、容体が悪化する父の耳元で健一さんはさけんだ。「もうすぐ修一が帰ってくるよ。がんばれ」。4年ぶりに修一さんの名前を聞き、わずかに反応が見られたが、間もなく息を引き取った。享年99。政府認定の拉致被害者の両親では最高齢だった。
7月に北朝鮮による拉致被害者らの再調査が始まったばかり。朗報が届く前に力尽きた父について、健一さんは「本当なら大往生。がんばったと言いたいけれど、心からは言えない」と言葉を詰まらせた。
祭壇には、遺影とともに家族からの感謝状が飾られた。《ただひとつ気がかりだったことは拉致された弟に会うことが出来なかったことだと思います》と無念さがつづられ、残された家族の決意が記されていた。
《後は心配せず私たちに任せて安心してください》。健一さんら家族は天国の父に弟の奪還を改めて誓った。